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羽生結弦とショパンの“ある共通点”にファン感動…ジョニー・ウィアーやジェフリー・バトルや福間洸太朗の「バラード第1番」への評価も

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羽生結弦とショパンの“ある共通点”にファン感動…ジョニー・ウィアーやジェフリー・バトルや福間洸太朗の「バラード第1番」への評価も

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#羽生結弦#ジョニー・ウィアー#ジェフリー・バトル

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コメント

  1. Erika Sono より:

    ショパンがバラード第一番を作曲したのは、パリ滞在中の1831~1835年です。

    ショパンが、1830年11月にウィーンに旅立った直後、ロシア帝国支配に反旗を翻す11月蜂起が勃発します。これは、ウィーン会議の結果、ロシア、プロイセン、ハプスブルク帝国によってポーランドが分割されたことに対する反乱。

    この11月蜂起のため、ウィーンではポーランドに対する反発が強まり、ウィーンでの音楽活動もうまくいかなかったショパンは、ウィーン経由でイタリアに行く計画を変更し、翌1931年にパリに発つのです。

    ただ、ショパンの父親は、もともとポーランドに移住してきたフランス人でしたから、父の故郷に帰ったとも言えます。

    ショパンとウィーンに同行していた友人、ティトゥス・ヴォイチェホフスキは11月蜂起参戦のためにポーランドに帰国。ショパンは、ウィーンからパリに赴く途上で11月蜂起失敗を知り、自分も故郷のために戦いたい衝動に駆られます。

    この辺りは、確かに、震災後、ひとりトロントに渡った羽生選手の焦燥と少し似ていますね。

    ショパンは、結局ポーランドに帰ることなく、パリに留まることになります。

    このバラード第一番を書き上げた1835年、25歳のショパンは、旧知のマリア・ヴォジンスカと再会。翌1836年、マリアに求婚しますが、病弱なショパンとの結婚には反対の声も。その頃に出会ったのが年上の女流作家ジョルジュ・サンドです。

    その翌年、1837年、マリアとの婚約が破棄され、1838年にはサンドとの交際が始まり、1839~1847年は、冬はパリ、夏はサンドのノアンの別荘での同居生活が始まります。

    ショパンの儒玉の名曲といわれる作品群は、実は、ほとんどが、このサンドとの同居生活(ショパン29~37歳)の中で、ショパンの健康を気遣い、愛用のプレイエルのピアノが税関を通過するように計らうなど、生活面の面倒も看て、ショパンを創作に専念させてくれたサンドの力があって生み出されたものなのです。

    但し、サンドの子供達が成長してくると、ショパンとの関係が微妙なものに。

    サンドと別れたショパンは、健康状態が悪化し、僅か2年後の1849年にパリで亡くなっています。享年、39歳。パリに来て、18年後のことでした。

    18年間のパリ滞在のうち、サンドと出会ってから別れるまでの11年間が、ショパンの創作の一番充実していた時期です。

    世俗の喧騒から逃れ、ノアンのサンドの別荘で、文学と芸術に造詣の深いサンドに見守られ、批評してもらい、アドヴァイスを受けて、「ピアノの詩人」の名に相応しい詩情溢れる作品が次々に生まれました。

    満ち足りた平穏な幸せが溢れ出すような、柔らかく美しく、馥郁とした旋律が数多く書かれています。

    サンドと出会う1836年以前が、ほぼショパンの初期に当たります。

    バラード第一番は、ショパンの初期作品のうち、ワルシャワ時代ではなく、11月蜂起後、ウィーンに居られなくなったショパンがパリに逃れて来てから書かれた、数少ない作品です。

    そのため、羽生選手が演じているこの曲の第一主題には、故郷を離れ、友と別れ、夢見ていた全ヨーロッパでの成功も遠のき、前途は危うく、孤独な寂寥感が滲んでいます。

    また、今シーズン、羽生選手がスピンの間にコンビネーション・ジャンプを挟んで演じている第一主題後の移行部には、次第に激高してくる気持ちと留めようもない悲しみ、激情が叩きつけられています。

    2014年シーズンと2017年オリンピックシーズンにコンビネーション・ジャンプを組み込んでいた、コーダ前のストレッタから、ステップシークエンスが入るコーダの辺りもそうですね。

    祖国の危機の時に、自分は異国にあって、どうすることもできない、その深い悲しみと怒りが叩きつけられているように思います。

    羽生選手は、再び取り上げたこの《ショパンのバラード第一番》で、どれだけそうしたショパンの心情を演じきれるのでしょうか?

    *****

    肺を病んでいたショパンと、喘息の持病がある羽生選手は、そういう意味でも似ていますね。

    さて、羽生選手の運命はいかに?

  2. くみくみ より:

    解説の内容に感動しました!
    バラードの曲を作った時の気持ちにまで触れていて、当時の世界情勢が繊細な曲の響きになっていることに納得しました!!
    ただ、漢字の読み方の間違いが気になりました。『苦渋』=『くじゅう』です。『くしぶ』ではないです。日本語は外国の人が難しいと言うほど、読み方も複雑です。日本人として、言葉を大切に確認してから情報発信してほしいです。

  3. rin kuri より:

    動画ありがとうございます。何度見ても素敵な結弦くんですね❣❣
    4大陸のバラ1は優雅で完璧な演技でした❣❣❣❣
    世選の前に鎌倉エフエムの嫌な事もありましたが、妬み・嫉妬に耳を塞いで いつもの結弦くんのスケートを期待してます。

  4. 823 gth より:

    本当に、このバラードは熟成されたワインのようにため息が出るほど繊細で味わい深い逸品になりましたね。もう5年前くらいか滑り始めた頃はまだ少年ジャンプの主人公が滑ってる (^_^;)印象がありましたが、ついに自分のものにして今は無意識に表現できるほど。小林さんが例えてたけど羽生君はピアノの滑り。ピアノの音が本当に似合うし男性でピアノの繊細さを表せるのは彼しかいない。また進化した滑りが見られる世選が楽しみです。

  5. 坂下貢 より:

    動画ありがとう。